2015年6月2日火曜日

箱根山: 震源が大きく北へ移動


箱根山(地図)で起きている群発地震の震源が大きく北に移動しています。「移動」というよりは不連続にジャンプしたと言った方が適切かも知れません。

下の図は、神奈川県温泉地学研究所のウェブサイトに5月14日(図1)と6月1日(図2)に掲載されていたものです。赤い丸印が、前者では5月12日から14日にかけて、後者では5月30日から6月1日にかけて発生した地震の震源を示しています:

図1 箱根地域の地震活動 (赤丸は5月12日~5月14日の震源)
Credit: 神奈川県温泉地学研究所

図2 箱根地域の地震活動 (赤丸は5月30日~6月01日の震源)
Credit: 神奈川県温泉地学研究所

図1では、震源が箱根カルデラの中央部・駒ヶ岳付近を中心とした南北に延びる帯状の地域と大涌谷から仙石原にかけての地域に震源が集中していましたが、図2では、箱根カルデラの外輪山の北端に位置し、外輪山の最高峰である金時山(地図)のふもとに集中しています。このあたりには、金時神社、箱根湿性花園、富士屋ホテル仙石ゴルフコースがあります。

さらに注目すべきは、金時山のふもとに深さ5km付近から地表にまで達する「震源の柱」が短期間で出現していることです。震源地図の右側に示されている南北方向の断面図を、図1と図2で比較してみてください。図1ではまったく見られなかった「震源の柱」が図2でははっきりと見てとれます。

箱根町長や神奈川県知事は風評被害を防止するとして、「箱根山」の表記を「大涌谷周辺」などに変えるよう、内閣官房長官、気象庁や報道機関に申し入れたとのことですが、今度は「金時山南麓」とでも要望するのでしょうか:

おかしな話です。今回の口永良部島の噴火で、島の名前は出さずに新岳の噴火と呼べと言っているようなものです。少なくとも気象庁はこのような政治サイドからの申し入れを受け入れるべきではないと思います。

これまでにも政治が介入して自然科学で使われる名称が混乱したことがあります。

1983年に発生した日本海中部地震(M7.7)は、当初、「秋田沖地震」などと呼ばれていましたが、同県以外の自治体が義援金や予算配分で不利になるとして自分たちの県名もいれるように求めたことから、結局、県名の入らない正式名称が採用されました。この地震の震央は、どう見ても日本海中部などではないのですけれど。

気象庁は、一時期、地震の正式名称に西暦を使っていました。例えば、「1968年日向灘地震」(M7.5)や「1978年宮城県沖地震」(M7.4)などです。ところが、日本国の官庁である気象庁が西暦を使うのはけしからんという政治サイドからの横やりや、元号法の施行があって、その後は「昭和57年浦川沖地震」(M7.1)、「平成5年釧路沖地震」(M7.5)など、元号を含んだ国際的には通用しない名称が使われるようになりました。


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