2013年3月4日月曜日

伊勢神宮の神職の記録


『朝日新聞』三重県版の記事です。伊勢神宮の神職が代々書き継いできた日記に、地震についての貴重な情報が書き残されています:
伊勢神宮には、1380年(康暦2)年から500年近く書き継がれた「外宮子良館(げくうこらかん)日記」があります。神職が体感地震の回数や大きさなどを克明に記録し、いわゆる「地震計」の役割を果たしていました。 
日記をひもとくと、レベル1やレベル2の大きな地震の直前には、体感地震が少なくなる傾向があります。こうした記録は、県内の防災対策を考えるうえでも貴重な資料になります。

上記引用文中の 「レベル1」は100年に1度の大地震、「レベル2」は1000年に1度の巨大地震を意味しています。

詳しくは以下の資料をお読みください:

大地震の前に有感地震の数が減る傾向は他の地域でも見られます。以下のグラフは、『理科年表』(丸善書店、1980年版)所載の「有感地震回数表」にもとづいて、千葉県銚子市の1904年から1940年までの有感地震回数を示したものです:

銚子市の有感地震回数 (転載不可)

1913年のピーク以降、有感地震の回数が徐々に減少し、1922年に少し反発、翌1923年の関東地震(M7.9、推定最大震度7、『関東大震災』)に至りました。

グラフにはしませんでしたが、1939年から1948年にかけても有感地震の回数が少ない状態が続きます。大陸や太平洋での戦争や戦後の混乱が観測態勢に影響したためとも考えられますが、この減少期間中に東南海地震(1944年、M7.9)、三河地震(1945年、M6.8)、南海地震(1946年、M8.0)、福井地震(1948年、M7.1)など、規模の大きな地震が次々に発生しています。

発生間近の大地震が周辺の地震発生を抑制しているのではなく、大地震の影響で増えた地震回数が徐々に減少して安定期に入ったころに次の大地震が起きているだけ、とも考えられます。

なお、上掲のグラフ作成にあたって1980年版の『理科年表』を用いたのは、各都市の「有感地震回数表」が最近の『理科年表』には掲載されなくなったためです。


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