2017年11月1日水曜日

巨大クジラ座礁、その3日後、地響きと共に岬が2つに割れた


宮城県石巻市と南三陸町の境にある神割崎(かみわりざき、地図)では、例年10月下旬と2月中旬ごろの各1週間ほどの期間、巨岩の割れ目から朝日が昇る幻想的な光景が見られるそうです。神割崎には「巨大な鯨が海岸に打ち上げられた」、「地響きと共に岬が二つに割れた」、「神様が下した裁き」という伝説が残っているそうです:

以下は神割崎の観光案内です:

上記の案内によると伝説は以下のようなものです:
時は宝暦年間(1751年~1763年)、巨大なクジラがこの地に漂着しました。土地の人は喜びクジラを分けようとしましたが、この場所はちょうど2つの村、十三浜村小瀧と戸倉村寺浜の境界。どちらの村も「この場所は自分たちの村で、クジラも自分たちのものだ」と譲らずに争い始めました。そして3日目の晩、雷鳴・地響きが起こりここにあった巨岩が真っ二つに…。あまりにもまっすぐに割けていたことから「これは神様の仕業であろう」と、その後はこの地を境界として争うこともなくなりました。

もう少し詳しい説明が案内板に書かれています。案内板の写真から伝説を文字に起こしてみました:
神割崎の伝説

 口伝によると、宝暦年間(1751~1763)の昔、横沼の浜辺に大きい鯨が弱り果ててよってきたそうだ。浜人たちは天のお授けとばかり、大いに喜び鯨を分けようとしたが、場所は十三浜村小瀧(現石巻市北上町十三浜)と戸倉村寺浜(現南三陸町戸倉)の浜辺、常日頃仲良く暮らしていた両地区だが、欲のために義理人情も忘れ、互いに「この場所は自分たちの村内」と言い張り、一歩も譲らず、鯨を目の前にして三日三晩も争ったそうだ。ついに奉行にも訴えたが、さすがに時の奉行(登米奉行)も、にわかのことで裁きかねてしまった。すると不思議や三晩目の夜、ものすごい雷雨と同時に横沼の浜方面に落雷があった。翌朝、浜の人たちが横沼の浜に行ってみると、不思議や一夜にして横沼の岩が一文字に裂け、磯の境界を示す型となったそうだ。
 両浜の浜人たちはその神秘に驚き、「是れ正しく神業」と信じ、争いをやめ、鯨も両浜で仲良く分け合い、その割れ目を両村の境界と決めたそうだ。

【北上町史より】

落雷で巨岩が2つに裂けるということは全くあり得ないとは言えません。しかし、雷鳴や地響きは地震の描写かもしれない、事前に衰弱したクジラが浜に打ち上げられているのは宏観前兆かもしれないことなどと考えると、岬の岩が裂けたのは強い地震があったからではないか、とも考えられます。

宝暦年間からその次の明和年間にかけて(9代徳川家重、10代徳川家治の治世)、東北地方では強い地震が頻発しています。以下は理科年表からの抜粋です:
  • 1755年3月29日 M不明 陸奥八戸 殿中ならびに外通りに被害、津軽・盛岡で有感。

  • 1763年1月29日 M7.4 陸奥八戸 11月初めより地震があり、この日大地震。寺院・民家が破損。函館でも強く感じた。津波があり、余震が多かった。

  • 1763年3月11日 M7+ 陸奥八戸 余震が続く中、この日強震。建物の被害が多かった。

  • 1763年3月15日 M7.0 陸奥八戸 城の塀倒れ、御朱印蔵の屋根破損。

  • 1766年3月8日 M7+ 津軽 弘前から津軽半島にかけて被害が大きかった。弘前城破損、各地に地割れ、津軽藩の被害(寺社含まず)は、潰家5千余、焼失200余、圧死約1千、焼死約300。

  • 1767年5月4日 M不明 陸中 鬼柳(現北上市)で潰家1、焼失20余。津軽・八戸・盛岡・花巻・羽前南村山郡・江戸・八王子で有感。

  • 1768年9月8日 M不明 陸奥八戸 家屋・塀などの被害が少なくなかった。和賀郡沢内で震動が強かった。

  • 1969年7月12日 M不明 八戸 御殿通り・外側通りで所々破損。南宗寺で御霊屋など破損。大橋落ちる。

神割崎は現在も石巻市と南三陸町の境界となっています。


関連記事