2016年4月1日金曜日

数々の前兆を見過ごして地震に遭ってしまった医師


安政江戸地震は旧暦・安政2年10月2日(西暦1855年11月11日)午後10時ごろに江戸を襲った直下型の大地震で、マグニチュードは6.9~7.4、震央は荒川河口付近(おおよそ現在の葛西臨海公園や東京ディズニーランドのあたり、他説あり)で、死者1万人、負傷者は数千人と推定されています。

江戸時代末期の医師・赤松宗旦が著した『利根川図志』から、安政江戸地震の前兆に関わる部分を現代語に直してみました:
我孫子(地図)に着いた。小金から3里である。何か変わったことはなかったかと尋ねると、今年は青頭菌ハツタケ)が例年よりも多く生えたり、梨やスモモや桃の帰り花(二度咲)が多かったり、地震の10日ほど前からは鶏がねぐらに戻らず梁に上がってしまったりして色々と困りました、との答え。思い返してみれば、今年は所々に彼岸桜や梨の帰り花が多く咲き、栗や柿が早く熟し、ことに9月30日には鳥や鳶(トビ)が鳴き騒ぎながら空を飛んで行ったのを、地震の前兆とも気づかずに10月2日の災い(安政江戸地震)にあってしまったのは非常に腹立たしい。川の向こう側の立ツ崎羽中寺の村では、冬ごもりしていたヤマカガチ(大蛇)などという蛇どもが這い出してきたものの、寒くて動けなくなったのは9月30日(現代の暦では11月初旬)のことと聞いた。布川で、井戸の中をのぞき込むと鳴るような音が繰り返し聞こえたのは10月2日のことだそうだ。

我孫子は震央から25km、布川は33kmです。

『利根川図志』の原文は、『地震前兆現象 予知のためのデータ・ベース』(力武常次、東京大学出版会、1986)を参照しました。


関連記事